次郎の貝塚

技術ブログのような何か | RSS

新卒入社してから 2 年勤めた SIer を退職した

以前のブログから移行してきた記事の 1 つです。

当時の価値観をそのまま残しておきたかったため、移行前の文章をほとんど変更していません。 そのため textlint の指摘もあえて修正していません。

ここから先は移行してきた記事です。


退職エントリです。 このページを書いたのは 2019/7/23 です。 2019 年 4 月初めに退職しました。 今までを振り返って、今後について書きます。

前職に入社した理由

就活をしていた時期は2016年の4月〜6月くらいだったと思います。 その当時は①中小規模の②Web系SIerで③自社オフィスでワンストップで開発できる④東京の企業を探していました。 理由は以下のとおりです。

  1. 大手企業だと開発環境が古そう、小回りが聞かなさそう、風通しが悪そうというイメージがあった
  2. いろんな技術に触れてみたかった
  3. 設計しかできないエンジニアになりたくなくて、設計も開発もテストも運用もできるようになりたかった
  4. 10年後に生き残っているIT企業は少ないので、倒産してもすぐに転職できるなら東京だと考えていた

給与は東京で普通に生活できるくらいあればいいかと考えていたのと特にお金のかかる趣味もなかったので、余り気にしていませんでした。

前職でやってきたこと

テスターに始まり、システム保守運用、バッチ処理の実装、システム移行のインフラ側担当など、9割型バックエンドの仕事をしていました。 一番最初、入社した時は確かスマホアプリのほうに興味があったような気がしましたが、業務でバックエンドに触れてみたら意外とこっちのほうが僕には合っていたようでした。

バックエンドのアプリとインフラ両方経験できたのはすごく良かったです。 特に最後のプロジェクトで、インフラ側を経験したいという要望をくんでいただけて、インフラの実装要因としてアサインしてもらえたのはすごく嬉しかったです。 シェルスクリプトはそれなりに書けましたが、インフラの知識は殆どなかったので、その時の自己研鑽はネットワークやAWSの勉強をしていました。

残念ながら、基本設計や要件定義のような上位のレイヤを経験できませんでした。

前職の良かったところ

社風がフラット

社風がフラットな会社を探して就活をしていましたが、想像以上にゆるかったです。 リーダーはいるので階層構造ではありますが、ガチガチの階層化という感じではなかったです。

優秀な技術者がたくさんいた

初めて配属されたプロジェクトから、最後のプロジェクトまで、営業にエンジニアからマネージャまで尊敬する人がたくさんいました。

初めて入った会社で、「すごい人が何故すごいのか」を一緒に仕事をしながら学ばせてもらえたのは、とても幸運なことでした。 初めて入った会社が前職で本当に良かったと思っています。

社内でも有名な強いエンジニアの方と一緒に仕事をする機会があって本当に良かったです。 仕事に関係ないような雑談ばっかりふっかけてしまってスミマセンでした。

何名か強いインフラエンジニアの方とも一緒に仕事をして、インフラエンジニアはこんなすごいことをするのか!と感銘を受けて インフラ領域についても興味を持つようになったり、自分の今後のキャリアについても考える機会ができたりと、自分の価値観が変わる出来事もいくつかありました。

ひとえに多種多様な技術者に囲まれていたからこそ、起こり得た出来事なのかな、と思っています。 本当に感謝しています。

退職の理由

プロジェクトの期間が短い

2年のうちに6個ほどプロジェクトに関わりました。だいたいどれも半年以下です。掛け持ちを常にしてる感じでした。 長くても保守運用で1年でしたが、新規開発に積極的なプロジェクトではありませんでした。

1個のサービスを長期間にわたって開発する仕事がしたいという思いが湧いてきて、それだと前職は合ってないな、って思いを抱くようになりました。

無駄な時間が多い

開発よりも開発以外の雑務や無駄な作業が多くて退屈に感じる時間が多かったです。

Excelで設計書をひたすら作ったり、激重のExcelを開くのに数分待たされたりレガシーなシステムの、 自動テスト環境も整備されていない手順書ベースのテスト、リリースフローをひたすら手作業でやらないといけなかったりがひっじょーーに多かったです。

不毛な時間の使い方だと思いつつも、そこからは学びはありました。 しかしながら、同じ時間で10得られる場所が他にあるのでは、と考えるようになりました。

マネジメント職のほうが求められている

バリバリの開発好きエンジニアよりもマネジメント職のほうが求められてる雰囲気がありました。 外注してるプロジェクトが多かったように思います。

残業が多い

残業が多い部署に配属されたという表現が正しいでしょうか。 遅くまで残っている部署は僕がいたところも含めていつも同じところでした。 部署自体は僕が希望したところだったので業務内容に不満はありませんでしたが、いかんせん残業は多かったです。

残業時間は月の残業時間が100時間を超えたことが2回ありました。 最長は140時間でした。140時間のときは僕のヘマが原因なので納得してます。ヘマからの学びもたくさんありました。 退職の直前も残業45時間以上が3ヶ月以上続いたので、ハローワークにも自己都合退職ではなく会社都合退職として提出しました。 45時間オーバーは2年で両手で収まらないくらいはありました。

前述の通り仕事がつまらなかったので、そのうち転職しないとなぁとか考えていたときに、 最後のプロジェクトが炎上して僕の稼働率120%でWBSを引きなおされたのがクリティカルヒットしました。

12時間超えの労働を毎日続けて土日は寝るだけで、趣味のOSS開発をする気力も失っていました。 更に稼働率1.2倍になれば確実に心を病んでしまう、と真剣に命の危険を感じたので退職を決意しました。 布団に入っても目がさえてしまっていて、午前2,3時くらいまで眠れない日々が続いていたことを覚えています。 この時点では転職活動を全くしてませんでしたが、残業が多かったので貯金も溜まっており、 全く仕事をしてなくても半年以上は余裕で生活できそうだったのでとっとと退職することにしました。

その後残業がたたったのか肺気胸を患って数日会社を休んで通院したりもありましたが今は完治して元気にやっています。 肺気胸は痩せ型の若い男性に多いそうで怖いです。まさに自分でした。

転職活動

すでに内定を頂いておりまして、7月末から自社サービス系の企業のサーバサイドエンジニアとして働きます。

4月に退職して1ヶ月間はひたすら休んでいたのと、プライベートでの開発をひたすらやってました。 開発に飢えていたので、NimへのコミットとかOSS開発とかバリバリやってました。とても楽しかった。 コミットログもひたすら緑色です。

GitHub の草

期間としては5月から7月の2ヶ月間転職活動をしていました。 転職エージェントと転職サービスを活用していました。

月の初めに3,4社申し込んで、全部落ちて次の月の初めにまた3,4社申し込んでしたら1社通った、という感じです。 なので、応募した企業は8社くらいだったかな。 貯金には余裕があったので、焦らずゆるりと個人開発と並行して転職活動をしていました。

幸い志望度の高かった企業から内定をいただけたので、ここで転職活動を終了した、という感じです。 もしお見送りでしたら、一ヶ月スパンでの転職活動を続けてたと思います。

今後

将来的には SRE を目指していきたいです。

前職ではアプリエンジニアみたいなポジションでしたが尊敬するインフラエンジニア数名の方と一緒に仕事をしたときからインフラ領域のスキルを伸ばしていきたいと思うようになりました。 また、前職で苦労したことがあったので、非効率な開発プロセスの改善といった自動化効率化の技術についても興味があります。 AWS、GCPなどのクラウド技術、コンテナ技術、セキュリティ、自動化、運用監視などなどバックエンドの諸々の技術を伸ばして開発を効率化していきたいという思いがすごくあります。 自分一人が開発スキルをひたすら伸ばすこと以上に、チームの開発を促進できる知識を身に着けて、全員の開発効率をあげられたら、みんな幸せなのではないか、とか考えています。

以上です。

前の記事 | 次の記事 debian パッケージを作成する GitHub Actions を作った